最近の屋外広告に感じる「変化」
- 新井 庸支

- 2025年12月18日
- 読了時間: 3分

最近、屋外広告を見ていて「明らかに変わった」と感じることがあります。それは、広告の集中投下が増えていることです。
高速道路沿いの「きぬた歯科」はその代表例ですが、街中でも同様の現象が見られます。渋谷駅の地下通路、新宿駅の東西自由通路、ある特定エリア一帯に同じ広告が並ぶ光景。電車内でも、1社が車内広告を占拠する「広告ジャック」は、もはや珍しいものではありません。
なぜ、こうした集中型の広告が増えているのでしょうか。一つの理由は、情報量の爆発です。日々触れる情報が増え続ける中で、個々の広告への注目度は確実に下がっています。もう一つは、スマートフォンの存在と人の密集度です。私たちはかつてのように周囲を見渡しながら歩くよりも、自分の近く、より狭い範囲に意識を向けるようになりました。インバウンドを含めた都市部の人の密集も、その傾向を強めています。
そして最後に、そもそも多くの人が「広告を意識的には見ていない」という現実もあります。情報があふれる中で、人は無意識のうちに“見るもの”と“見ないもの”を選別しています。広告は、その多くが判断の対象にすら入らず、視界を通り過ぎていく存在になっているのが実情でしょう。
こうした状況下で広告を認識してもらうためには、もはや点での露出では足りません。一度見ただけで理解され、記憶に残るほど、人の注意は余裕を持っていない。だからこそ、どこを見ても同じ広告があり、意識せずとも「何度も目に入ってしまう」状態をつくる必要があります。その結果として、エリアを絞った集中投下という手法が選ばれているのだと考えられます。
ここで重視されているのは、通行量や乗降者数といった“接触の量”ではなく、どのように認識され、どんな印象として残るかという“記憶の質”です。掲出場所を一つ一つ最適化する時代から、「どう記憶されるか」を設計する時代へ。この変化は、屋外広告に限った話ではありません。
WEB広告でも、SNSでも、同じことが起きています。情報を届けること自体は、すでに難しいことではなくなりました。むしろ難しいのは、「人の意識に入り込むこと」、そして「意味のある形で覚えてもらうこと」です。
結局のところ、広告を含むマーケティングとは、手法の話ではなく、人がどんな状態で、どこに注意を向け、何を無意識に選び取っているのかを理解することなのだと思います。屋外でも、電車でも、WEBでも、その本質は変わりません。集中投下という現象は、マーケティングが再び“人そのもの”に立ち返っていることを、静かに示しているのかもしれません。
株式会社ホワイトナイト
新井 庸支



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